文政二年 (1819年) 旧藩主毛利元義公が海防と福浦湾の繁栄を図るため、郡代水野忠実に命じて、長府忌宮神社境内に祭っていた金刀比羅宮を当彦島福浦湾頭兜山(富観台)に遷座したもので、文政三年(1820年) に神殿・拝殿が完成し遷座祭を行いました。

その後文政十三年(1830年)には、鳥居・玉垣・狛犬・灯篭などがそろい、遷座十周年の式年大祭を挙行しました。

北前船入港の折、会場安全を祈祷させ、これが評判となり参拝者や寄港する船が増えて、福浦の港は大変繁盛しました。

又、嘉永二年 (1849年)に海防調査を命じられた吉田松陰も、この石段を登っており、南陵小田圭(長府毛利藩の儒学者)が残した碑文も歴史を刻んでいます。

以来、福浦町民ならびに崇敬者は数度にわたり社殿の改修に力を合わせ、その環境を護ってきました。

今日では、福浦を愛する心のよりどころとして、金刀比羅神社は富観台に鎮座しています。

所在地〒750-0087 山口県下関市彦島福浦町1丁目27-1